白保の暮らし
白保村の息づく伝統
私たちの暮らす石垣市字白保は、沖縄本島より南西におよそ450km、八重山諸島の主島である石垣島の南東部、広く太平洋を臨む場所に位置しています。白保の歴史は古く、史実によると慶長検地(1610年)にさかのぼります。1771年(明和八年)の大津波では、大きな被害を受けました。波照間島や沖縄本島、宮古島、多良間島などからの移住者を迎え、ともに村を支え現在に至っています。
白保は、昔ながらの農村集落で、現在も農業・畜産業が盛んな地域です。芸能活動の活発な村としても知られており、一年間の五穀豊穣を神に感謝し、翌年の豊作を願う「豊年祭」、航海安全・豊漁を願う「ハーリー祭」、稲の苗が無事に田んぼに定植するようにと願う「種子取祭」など、年間を通し多くの祭祀儀礼が今も色濃く残っています。祖先から受け継いだ伝統行事を後世に大切に受け継ぐと共に、石垣、福木、赤瓦の伝統的な集落景観をとどめる集落です。集落のすぐ目の前には、世界最大級のアオサンゴ群集で知られるサンゴ礁の海が広がり、“サンゴ礁文化”と呼ばれる豊かな自然と密接に関わった暮らしの文化を受け継いでいます。
海と共に暮らす人々
白保の海は「育ての親」とも言われているように、村人にとって大切な海です。農家の人々もまた、農作業の合間に干潮に合わせて海へ移動し、イノー(礁池:浅瀬)やワタンジ(干潮時リーフエッジまで歩いて渡れる道)などで魚貝や海藻を採ってきました。その日に食べるごく少量の漁をするおかずとりです。また、聞き取り調査によると1949年頃まで、農家の人々は、垣という伝統漁法(潮の干満を利用して魚を捕った原始的な定置漁具)を利用し、半農半魚の暮らしをしていました。今では垣による漁は行われていませんが、冬になるとおばぁをはじめ多くの女性が一面に育ったアーサを採る姿が見られます。
また生活の中の様々な習慣や行事にも必ず海がかかわっています。例えば、「浜下り」旧暦の3月3日(大潮の干潮時)に行われる行事。この日は女性が浜へ下りて海水で身(手や足)を清めると良い、 とされています。旧暦の5月4日は航海安全・豊漁を願う「ハーリー」が盛大に行われ、集落の無病息災や厄除けを願う「シマフサラシ」では、害虫などを芭蕉で作ったいかだに乗せて東の海に流します。1年で一番大きな行事である豊年祭の大綱引きでは、海から恵みを引き寄せるということで西側が勝てば来年の豊作が約束されると言われています。
このように祭事儀礼の中には、様々な海との関わりを見ることができ、海との繋がりの深さを感じ取ることができます。白保村には、豊穣の大地とサンゴ礁の海の多彩な自然に育まれた伝統文化が今も息づいているのです。
持続可能な村づくりの方針
公民館制定の「白保村ゆらてぃく憲章」
石垣島白保では、2004年より持続可能な村づくりに取り組み、2006年「海と緑と心をはぐくむ、おおらかな白保」を目標とした”白保村ゆらてぃく憲章”が白保公民館より制定されました。これは、次世代に守り伝えたいものを明確にし、村をあげてその保護、継承とその活用による白保村の活性化に取り組むものです。
憲章に基づく村づくりは高く評価され、2008年度沖縄県離島振興協議会「島おこし奨励賞」、2009年度「沖縄県優良自治公民館等表彰」や2011年度沖縄県「沖縄ふるさと百選(集落部門)」認定を受けています。
2005年に設立された、サンゴ礁の保全とその持続的な利用による地域の活性化を目的とする「白保魚湧く海保全協議会」や、伝統的な自然の恵みを利用する知恵を受け継ぎ地域特産品の販売を促進する「白保日曜市」もこの憲章を讃えており、2013年にはこの”白保ゆらてぃく憲章”に基づく村づくりを行う団体としてNPO夏花も設立されました。
【白保村ゆらてぃく憲章】
(1)村づくりの目標
与那岡から見渡す田園風景、魚湧く海、赤瓦、福木、石垣の残る集落その中で受け継がれる伝統芸能、白保村の先輩たちが守り伝えてきた豊かな自然とともにある暮らしを守り、若者たちが夢と誇りを持って次世代を担うことのできる、“海と緑と心をはぐくむ、おおらかな白保”を目標としたゆらてぃく白保村づくりを推進します。
(2)白保村づくり七箇条
一、白保の文化を守り、未来につなげます
一、世界一のサンゴ礁を守り、自然に根ざした暮らしを営みます
一、石垣、赤瓦、福木を愛し、きれいな街並みをつくります
一、恵まれた自然を活かし、村を支える地場産業を育成します
一、地域の教育力を高め、次世代を担うたくましい子どもを育てます
一、スポーツや健康づくりに励み、心と体の健やかな長寿の村をつくります
一、ゆらてぃくの心で団結し、平和で、安全な世界に誇れる白保村をつくります